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かいひんふうぶつず 海浜風物図
<海浜風景>では、皴法を駆使して緻密に岩を描き、中国風の大きな空間が、遠近感を強調して表されている。春挙は、西洋画法や写真も学び、後に大和絵も含む多様な表現を画面に取り込んでいったが、それは、円山派の写生に、北宗画の表現を溶かし込んだ幕末期の寛斎のあり方を受け継いだものである。師の寛斎が没した翌年に描かれたこの作品は、寛斎の方法を引き継ぎ、新しい時代に展開させようとした最初の成果の一つといえるだろう。(「近代日本画への道程 「日本画」の19世紀」図録 1997年)
カテゴリー:作品
戸張孤雁とは?【 作家名 】 1882年東京に生まれる。1901年洋画研究のため渡米し、06年に帰国する。1910年太平洋画会研究所彫塑部に入門し、同年第4回文展に「をなご」を出品する。1916年再興第3回院展に「ムスメ」「若き男の像」他を出品する。1917年には日本美術院同人となる。1927年東京で死去。アメリカで苦学をしながら、洋画、デッサンを学んでいた戸張は、ニューヨークのナショナル・アカデミーで荻原守衛と知り合ったことで、彫刻家への道を進むことになる。ロダンの作品からも多大な影響を受け、生命感にあふれた大胆なデフォルマシォンを特徴とする象徴性の高い作品を制作した。また版画家としても活躍し、1919年には山本鼎、織田一磨らと日本創作版画協会を創立し、「創作版画と版画のつくり方」を刊行した。(「日本近代彫刻の一世紀 写実表現から立体造形へ」図録 1991年) |
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