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とらず 虎図
竹堂は、写生に基づき、そこに西洋画法の研究を流しこむことで、維新以後の京都画壇において近代化の最初の動きをつくりだした一人となった。彼の作品は、動物画が注目されているが、なかでも初代の岸駒以来、岸派が得意としてきた虎を題材とした作品が知られている。明治20年代になり、京都で公演したチャリネ曲馬団の虎を写生してから、竹堂の表現は変化したといわれる。想像上の動物としてでなく、現実の虎の姿を捉えようとした。本図の虎は、晩年期に向かう過程で装飾性を加え穏やかになる以前、写実化の努力を反映しつつある時期の作例と考えられる。写実的で新しい視覚的体験を伝える動物画は、竹内栖鳳など次世代の京都画壇の作家だけでなく、東京画壇にも影響を与え、たとえば、虎についても橋本雅邦や下村観山など多くの作家が試みる題材となっていく。(「近代日本画への道程 「日本画」の19世紀」図録 1997年)
カテゴリー:作品
ドクメンタとは?【 美術用語 】 1955年以来、西ドイツのカッセル市で、原則として4年ごとに催されてきた進歩的傾向の国際美術展の名前。第1回展は、カッセル・アカデミーのボーデ教授の提唱で、第二次大戦終了までナチスによって進歩的・前衛的芸術が「退廃」の烙印を押されて国際舞台から著しく立ち遅れてしまっていたドイツの芸術に、再び新しい息吹きを取り戻す目的で組織された。以降、ドイツの国民に世界の現代美術の動向を紹介するのを根本とし、多くの国際美術展のような授賞制度を持たずに、毎回テーマを決め、それに基いて委員会が美術家の人選を行うという方法を採っている。第2回展にはアメリカ部門が設けられ、ニューヨーク派の成果が紹介され、第4回展では、出品作家の3分の1がアメリカ人でその作品の多くが巨大なサイズのものという、アメリカの色面抽象絵画、ポップ・アート、ミニマル・アートが支配的なもので、ドクメンタの歴史にひとつの頂点を画したものであった。画商界の動向への追随など批判も多いが、現行の国際美術展では最も規模の大きいものである。 |
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