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あきくさなはず 秋草花図
玉堂は、京都で学んだ四条派の画風に、東京に移ってから獲得した雅邦などの表現を融合していく。すでに<秋草花>を描く以前に、漢画風の岩壁のある風景を写実的に描き、実体感のある空間をつくりだしている。それに対してこの作品は、墨線を強調せず、四条派の写生をより写実的に洗練させようと試みたものである。また、花の背後にある川の流れを、朦朧体と響き合う表現で描き、花を対比的に浮かびあがらせている。この作品は、別にある<秋草図>と対となって描かれたものと考えられる。<秋草花>が、右上から左下へ流れる対角線をつくる構図であるのに対して、<秋草図>は逆の構図をつくっている。(「近代日本画への道程 「日本画」の19世紀」図録 1997年)
カテゴリー:作品
アレシンスキーとは?【 作家名 】 1927年ベルギーに生まれる。ブリュッセル装飾美術学校に学び、1947年に初個展を開く。この頃、マグリットらシュールレアリスト達とも出会う。1948年パリへ旅行した後、49年から3年間、カレル・アペルらと共に結成したグループ、コブラの最年少メンバーとして活躍する。第二次世界大戦後の抽象表現における表現主義的な傾向を代表するこのグループは、短命ではあったが、激しい筆触と鮮やかな色使いで、強烈な衝撃を各方面に与えた。彼自身は記号を重ねたり並べた画面を作った。1951年からパリに移住し、絵画のみならず、壁画、室内装飾、ポスター、映画、銅版画などにも取り組む。日本の書道にも興味を示し、森田子龍と交流する。1955年には来日し、子龍と共に映画〈日本の書〉を製作した。1965年にはアメリカを訪れ、ユダヤ美術館で個展を開いた。1977年にはメロン賞を受賞した。 |
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