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あきくさなはず 秋草花図
玉堂は、京都で学んだ四条派の画風に、東京に移ってから獲得した雅邦などの表現を融合していく。すでに<秋草花>を描く以前に、漢画風の岩壁のある風景を写実的に描き、実体感のある空間をつくりだしている。それに対してこの作品は、墨線を強調せず、四条派の写生をより写実的に洗練させようと試みたものである。また、花の背後にある川の流れを、朦朧体と響き合う表現で描き、花を対比的に浮かびあがらせている。この作品は、別にある<秋草図>と対となって描かれたものと考えられる。<秋草花>が、右上から左下へ流れる対角線をつくる構図であるのに対して、<秋草図>は逆の構図をつくっている。(「近代日本画への道程 「日本画」の19世紀」図録 1997年)
カテゴリー:作品
マックス・エルンストとは?【 作家名 】 1891年ドイツに生まれる。1976年没する。ボン大学で哲学を学ぶ。1912年「ラインの表現主義者」展に出品。キュビスムや未来派の影響を受けた後、1919年アルプ等とケルンのダダ・グループを結成し、過去の名画の改作やコラージュなどを試みる。アンドレ・ブルトンの招きで1921年パリで個展、翌年パリに移り、シュルレアリスムの代表的画家として活躍。1925年フロッタージュ(あてこすり)の技法を発明し、〈博物誌〉を制作、その後油彩にも応用する。第2次大戦中ナチに追われ、1941年ニューヨークに移る。オシログラフ(振動描画)の技法は、アクション・ペインティングの先駆けとなった。1929年に〈百頭女〉、1934年に〈慈善週間〉、などのコラージュ小説を刊行。タブローの他、版画や本の挿絵も精力的に手掛け、アメリカでは多くの彫刻を制作した。1954年ベネチア・ビエンナーレ展で、絵画部門の大賞を得た。1958年フランスに帰化した。(「なぜか気になる人間像 徳島県立近代美術館所蔵名品展」図録(埼玉県立近代美術館)1992年) |
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