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あきくさなはず 秋草花図
玉堂は、京都で学んだ四条派の画風に、東京に移ってから獲得した雅邦などの表現を融合していく。すでに<秋草花>を描く以前に、漢画風の岩壁のある風景を写実的に描き、実体感のある空間をつくりだしている。それに対してこの作品は、墨線を強調せず、四条派の写生をより写実的に洗練させようと試みたものである。また、花の背後にある川の流れを、朦朧体と響き合う表現で描き、花を対比的に浮かびあがらせている。この作品は、別にある<秋草図>と対となって描かれたものと考えられる。<秋草花>が、右上から左下へ流れる対角線をつくる構図であるのに対して、<秋草図>は逆の構図をつくっている。(「近代日本画への道程 「日本画」の19世紀」図録 1997年)
カテゴリー:作品
リュスとは?【 作家名 】 1858年フランスに生まれる。1941年没する。複製木版画の職人として『イリュストラシオン』誌などの挿絵を手がけながら、絵を学ぶ。1885年頃からスーラの影響を受けて、点描で油彩を描き始め、1877年のアンデパンダン展出品をきっかけに、シニャックらによる新印象主義の一員となった。貧しい労働者階級の出身である彼は、労働者やパリの裏町を描くことも多かった。後に、印象主義風の作風へと近づく。また、挿絵画家としても活躍した。 |
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