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おうかこうとう しんやなぎかいあわせず 桜花紅桃、新柳貝合図
道一は、明治に抱一の流れを再興しようとして努力を重ねた。琳派に対する海外からの評価や明治政府の伝統的表現への振興策もあり、画壇的位置を獲得した。シカゴ・コロンブス万国博覧会への<夏草>の出品がそれを表しているだろう。しかし、彼の画業の後期から晩年期は、日本美術院の作家たちによる琳派の再評価と、個々の作家の表現への取り込みの時期と重なっている。流派の再興という前近代的な目的意識が、流派の壁を越え、琳派をも接収して新しい表現を生みだそうとした作家たちに、乗り越えられていった。この晩年期の作品では、木の幹に見られる付け立てやたらし込みなどの技法が、流派の伝統を継承する形で用いられている。(「近代日本画への道程 「日本画」の19世紀」図録 1997年)
カテゴリー:作品
キスリングとは?【 作家名 】 ポーランド、クラクフに生まれる。同地の美術アカデミーで学んだ後、1910年パリに出てモンマルトルに住み、エコール・ド・パリの代表的作家となる。モディリアニ、シャガール、スーチン、ピカソ、ブラックや、詩人マックス・ジャコブらと親しく交わる。第一次世界大戦では、外人部隊に志願するが、重傷を負い、兵役を解かれてスペインで療養する。1916年フランス国籍を得る。キュビスムからも影響を受けるが、ドランからの影響が最も大きい。第二次世界大戦の際アメリカに亡命するが1946年フランスに戻る。肖像や裸婦、静物(特に花)などを多く描いたが、特に異国的情緒の漂う裸婦が有名である。(「パリ・日本・メキシコ 埼玉県立近代美術館所蔵作品による」図録 1992年) |
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