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こうせきこうちょうりょうず

黄石公張良図

作家名:小林永濯
制作年:1886年
技 法:絹本着色
中国の画題を、従来のように中国の技法で描くのではなく、西洋絵画の方法を導入して描きだしている。日本絵画の材料を用いながら、明暗の表現によって立体感をつくりだし、西洋的な空間のある歴史画を生み出している。画題と材料、技法が一致していた中国絵画の影響から抜け出し、西洋へ傾斜しようとする過程にある作品といえるだろう。中国の題材を描いているため、その変化は象徴的である。前年の鑑画会大会で、フェノロサの依頼で彼の理論を反映した作品を描き受賞しているが、これは翌年の作品である。永濯の作品は、日本に滞在する欧米人に評判がよかったという。(「近代日本画への道程 「日本画」の19世紀」図録 1997年)


カテゴリー:作品
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狩野永悳とは?【 作家名 】

1814年江戸に木挽町狩野家伊川院永信の子として生まれる。1891年没する。幼名熊五郎。のちに立信、別号晴雪斎。宗家である中橋狩野家、狩野祐清の養嗣子となり、中橋家を嗣ぐ。幕府奥絵師として、江戸城、西の丸、本丸の御用をつとめ、安政4年(1857)法眼となった。幕府の崩壊で御用絵師の身分を失い、明治維新後は、師範学校、商務局、博物局などにつとめた。明治11年(1878)フェノロサが来日してからは、古画研究と鑑定法を指導。鑑定法の修得によって、フェノロサに狩野永探理信の名を与えた。明治17年(1884)鑑画会創立時、鑑定委員。同年の内国絵画共進会では銀章を受章。内国絵画共進会、東洋絵画共進会、日本美術協会で審査員を、また臨時全国宝物取調局鑑定掛、帝室技芸員などをつとめた。(「近代日本画への道程 「日本画」の19世紀」図録 1997年)

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