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もうこしゅうらいのず 蒙古襲来之図
幕末期の容斎の作品には、中国の画院画家の表現に学び、中国史を題材にした歴史画がある一方、日本の歴史を積極的に作品化した。有職故実の研究をふまえて、歴史上の人物を写実的表現も加えながら描いている。それに対して、<蒙古襲来之図>では、写実化を進めてはいない。復古大和絵の画家たちと連なるような、歴史的な題材と日本化された表現を一致させようとした作品である。この翌年、長州藩における欧米艦船への攘夷と薩英戦争がおこるなど、欧米諸国との緊張が高まった時期に描かれた。勤皇思想に傾倒したこの期の容斎にとって、蒙古襲来は、外圧に抗するという意味で重要な意味を持つ歴史画となったhttp://www.geisya.or.jp/ ~bouga
カテゴリー:作品
丸山晩霞とは?【 作家名 】 長野県に生まれる。本名は健作。1884年上京し、勧画学舎に学ぶが1年足らずで帰郷。1888年再び上京し、本多錦吉郎の彰枝堂に学ぶ。1890年、第3回内国博覧会に油彩画を出品。1895年、吉田博と出会い、水彩画に興味を抱く。1990年満谷国四郎、河合新蔵らと渡米。その後ヨーロッパを巡って翌年帰国。太平洋画会の創立に参加。大下藤次郎らと水彩画講習所を開き、さらに日本水彩画会研究所へと発展させた。1911年再渡欧。1913年に日本水彩画会の創立に参加。評議員となる。(「みづゑのあけぼの 三宅克己を中心として」図録 1991年) |
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