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もうこしゅうらいのず 蒙古襲来之図
幕末期の容斎の作品には、中国の画院画家の表現に学び、中国史を題材にした歴史画がある一方、日本の歴史を積極的に作品化した。有職故実の研究をふまえて、歴史上の人物を写実的表現も加えながら描いている。それに対して、<蒙古襲来之図>では、写実化を進めてはいない。復古大和絵の画家たちと連なるような、歴史的な題材と日本化された表現を一致させようとした作品である。この翌年、長州藩における欧米艦船への攘夷と薩英戦争がおこるなど、欧米諸国との緊張が高まった時期に描かれた。勤皇思想に傾倒したこの期の容斎にとって、蒙古襲来は、外圧に抗するという意味で重要な意味を持つ歴史画となったhttp://www.geisya.or.jp/ ~bouga
カテゴリー:作品
鏑木清方とは?【 作家名 】 1878年東京都神田に生まれる。1972年鎌倉市で没する。本名は健一。明治時代の戯作者条野採菊の子として生れ、13歳で水野年方に師事、挿絵画家として明治風俗を情緒ゆたかに描いた。富岡永洗(1864−1905)や梶田半古の影響も受け、日本美術院や烏合会などで認められたが、文展開設以後は官展に出品した。金鈴社を結成、官展に新風をもたらした。帝展審査員、帝国美術院会員、帝国芸術院会員、帝室技芸員となり、昭和29年(1954年)には文化勲章を受けた。明治の面影に限りない郷愁をよせ、文学的教養と都会的感覚によって、清新な芸術味ある風俗画を遺した。代表作は『筑地明石町』(1927)。文筆にも長じ、自叙伝『こしかたの記』(1961)、随筆集『続こしかたの記』(1967)などがある。 |
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