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げんこう 元寇
日清戦争期には、蒙古襲来を題材とする作品が多く描かれている。第一高等中学校(現東京大学教養学部)の依頼で描かれた、<元冦>もその一点である。幕末から、神風に翻弄される元の軍船が描かれることの多いテーマだが、ここでは、集団で上陸する元の軍勢に竹崎季長らが立ち向かうようすを捉えている。鎌倉時代の<蒙古襲来絵詞>や<伴大名言絵詞>を学んだことが指摘されているように(注)、大和絵研究が背景にある作品である。同時に、この作品の遠近表現は、俯瞰的に距離を示すのではなく、地平線上に、色の濃淡や大小関係で奥行きを示そうとする試みが成されおり、写実的表現と相まって、西洋的な群像表現に近づいた歴史画となっている。(注)作品解説 「大観と観山」展図録 横浜美術館 1990 p.192(「近代日本画への道程 「日本画」の19世紀」図録 1997年)
カテゴリー:作品
デ・スティルとは?【 美術用語 】 1917年、テオ・ファン・ドゥースブルフが、モンドリアンの協力を得て、レイデンで創刊し、1928年まで編集にあたったオランダの美術雑誌名。デ・スティルは「様式」の意味。最終号は1932年、ドゥースブルフ夫人が亡夫を記念して発行した「ドゥースブルフ追悼号」(通巻90号)。この雑誌は初めはモンドリアンの新造形主義の原理をもっぱら扱っていたが、ドゥースブルフが執筆陣にダダイストやクプカを迎え内容が包括的になったことからモンドリアンは寄稿をやめ、1926年以降は造形されたものの効果や具体性を重視するエレメンタリズムが中心となった。このような経緯があるにせよ、両大戦の間で最も大きな影響を与えた雑誌である。また、デ・スティルの名称は、この雑誌に関係した芸術家、建築家のグループをも指し、彼らが始めた建築様式上の運動にも用いる。それは、キュビスムの影響を受け直角と滑らかな平面の組合せよりなる抽象形態と、色彩は原色と白、黒、灰のみを使用した純粋な抽象的造形を意図したものであった。 |
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