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原勝郎



原菊太郎



原健



原丹橋



原鵬雲







ハルス



ハルトフ



春日蜿々(白梅)



ハロルドジェニングス



版画集『大鴉』『大鴉』表紙



版画集『大鴉』胸像の上の大鴉−「パラスの像へと降り立った……」



版画集『大鴉』飛翔する大鴉:書票



版画集『大鴉』窓辺にて−「ここに私は鎧戸を開け放った……」



版画集『大鴉』椅子−「床の上に漂いつつ横たわるその影……」



版画集『大鴉』ランプの下で−「嘗て物寂しい真夜中に……」



版画集〈耶蘇十二使徒板画柵(不来方頌、大恩世主十二使徒板画鏡柵)〉1. フィリポ 邊梨保の柵



版画集〈耶蘇十二使徒板画柵(不来方頌、大恩世主十二使徒板画鏡柵)〉10. タダイ 多駄伊の柵



版画集〈耶蘇十二使徒板画柵(不来方頌、大恩世主十二使徒板画鏡柵)〉11. ヤコブ 也胡武の柵



版画集〈耶蘇十二使徒板画柵(不来方頌、大恩世主十二使徒板画鏡柵)〉12. シモン 指聞の柵


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げんこう

元寇

作家名:下村観山
制作年:1895年
技 法:紙本着色
日清戦争期には、蒙古襲来を題材とする作品が多く描かれている。第一高等中学校(現東京大学教養学部)の依頼で描かれた、<元冦>もその一点である。幕末から、神風に翻弄される元の軍船が描かれることの多いテーマだが、ここでは、集団で上陸する元の軍勢に竹崎季長らが立ち向かうようすを捉えている。鎌倉時代の<蒙古襲来絵詞>や<伴大名言絵詞>を学んだことが指摘されているように(注)、大和絵研究が背景にある作品である。同時に、この作品の遠近表現は、俯瞰的に距離を示すのではなく、地平線上に、色の濃淡や大小関係で奥行きを示そうとする試みが成されおり、写実的表現と相まって、西洋的な群像表現に近づいた歴史画となっている。(注)作品解説 「大観と観山」展図録 横浜美術館 1990 p.192(「近代日本画への道程 「日本画」の19世紀」図録 1997年)


カテゴリー:作品
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藤島武二とは?【 作家名 】

鹿児島県鹿児島市に生まれる。初めは日本画を志し郷里で修業。上京し明治18年(1885)川端玉章に入門する。しかし明治23年洋画に転じ、同郷の曽山幸彦の指導をうけ翌年には明治美術会の会員になる。その後山本芳翠らに学び、明治29年黒田清輝らの白馬会の結城に参加する。同年東京美術学校洋画科の助教授となる。黒田からは外光派描写の影響を受けるが、生来の浪漫的、装飾的な変質は変わらなかった。明治38年文部省の命で43年まで渡欧しアカデミズムを学び、帰国後は東京美術学校教授となる。その後は官展を中心に我が国洋画画壇の指導的な役割を担った。作風は帰国後の模索の時代を経て、東洋的な人物画を描く。大正8年(1919)帝展審査員、同13年には帝国美術院会員となる。昭和に入って3年(1928)には皇室から委嘱のあった作品の題材を求めて、日本各地は言うに及ばす、台湾、蒙古、満州と取材旅行して数々の風景を描いた。昭和9年には帝室技芸員、同12年には第1回の文化勲章を受章した。

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