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ぼくぎゅう 牧牛
<牧牛>は、東京美術学校在学中の作品である。当時、美術学校の方針は、校長だった岡倉天心の考え方によって、古画の学習を重視していた。美術学校の成立により、流派の枠にしばられない多様な表現の学習が、制度的にはじめて可能となったのである。春草は、雅邦の表現をはじめとして、卒業後を含めると、狩野派、円山四条派、大和絵、仏画、琳派など、さまざまな表現を学ぶ。前の世代の作家が、流派の表現に他の要素をつけ加え、新しい時代に対応しようと試みてきたのに対し、春草や大観は、短い期間でそれを追体験したともいえる。カリキュラムの一段階と考えられるが、この作品のなかで春草は、狩野派の手法を留めながら、合理的な空間をつくる雅邦の表現を学んでいる。なお、落款は、「秋江」となっているが、美術学校普通科3年のころから用いた号である。(「近代日本画への道程 「日本画」の19世紀」図録 1997年)
カテゴリー:作品
マルクスとは?【 作家名 】 1889年、ベルリンに生まれる。1908−12年、ベルリンの芸術家リヒャルト・シャイデに絵画を学ぶ。1919−25年、バウハウスのマイスターとして指導にあたる。20年からはドルンブルク陶器工房の形態マイスターとして活動。1925−33年、バウハウスを去り、ハレ郊外ブルク・ギービッヒェンシュタイン工芸学校で彫刻を指導する。30年からは校長になる。1937年、ベルリンに戻るが、作品発表が禁止される。1946年、ハンブルク州立芸術学校教授となる。1950年、ケルンに住み、54年にノルトライン=ヴェストファーレン芸術大賞を受賞。以後各地で回顧展が開催されるようになる。1981年、ブルクブロールで死去。(「バウハウス展−ガラスのユートピア」図録 2000年) |
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