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ぼくぎゅう

牧牛

作家名:菱田春草
制作年:1893年
技 法:紙本着色
<牧牛>は、東京美術学校在学中の作品である。当時、美術学校の方針は、校長だった岡倉天心の考え方によって、古画の学習を重視していた。美術学校の成立により、流派の枠にしばられない多様な表現の学習が、制度的にはじめて可能となったのである。春草は、雅邦の表現をはじめとして、卒業後を含めると、狩野派、円山四条派、大和絵、仏画、琳派など、さまざまな表現を学ぶ。前の世代の作家が、流派の表現に他の要素をつけ加え、新しい時代に対応しようと試みてきたのに対し、春草や大観は、短い期間でそれを追体験したともいえる。カリキュラムの一段階と考えられるが、この作品のなかで春草は、狩野派の手法を留めながら、合理的な空間をつくる雅邦の表現を学んでいる。なお、落款は、「秋江」となっているが、美術学校普通科3年のころから用いた号である。(「近代日本画への道程 「日本画」の19世紀」図録 1997年)


カテゴリー:作品
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塩川文麟とは?【 作家名 】

1808年京都に生まれる。1877年没する。生年には異説がある。父は、安井蓮華光院門跡の侍者。字は子温。幼名は隼人。通称図書。はじめ草章と号し、可竹斎などの別号がある。門跡に画技を認められ、岡本豊彦に師事して四条派を学ぶ。弘化2年(1845)に豊彦が没してからは、四条派を率い、明治初期までの京都画壇を代表する画家のひとりとなった。安政年間の御所再建に際して、常御殿などの絵画制作に携わった。明治元年(1868)、中島来章、円山応立、国井応文らと如雲社を結成して、京都の画家たちの結束を深めた。明治9年(1876)フィラデルフィア万国博覧会に出品。門人には、幸野楳嶺がいる。(「近代日本画への道程 「日本画」の19世紀」図録 1997年、一部加筆有)

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