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げっかはくろ 月下白鷺
春草は、大観とともに、線を用いない没線主彩の描法で描いた作品を発表する。「朦朧体」という悪評を得たのは、この作品が描かれた前年である。例えば、<月下白鷺>の白鷺がとまる水辺の岩は、明暗をはっきりさせて立体感をつくる一方で、輪郭線や皴法を含めて線描は一切用いられていない。狩野派を含めて、漢画系の画家は、皴法を工夫することで、岩のリアリティーをつくりだしてきた。それら流派の様式と関わった手法を用いず、描写する試みが行われたことになる。いったん、自己につながる伝統を断絶させることで、結果的に新しい表現を生みだす出発点となったといえるだろう。(「近代日本画への道程 「日本画」の19世紀」図録 1997年)
カテゴリー:作品
グルーズとは?【 作家名 】 ロココ絵画の絶頂期にあって、市民の道徳観、倫理観を反映した教訓画を描いた画家。グランドンのアトリエで学んだ。その後、師とともにパリに出てアカデミーの美術学校に入学した。1755年サロンに出品して一躍有名になる。その教訓的、感傷的な作風は広く一般に親しまれた。特にロココ的な感覚をひそめた少女たちの肖像画は愛らしく、その半身像や顔を数多く描いて名声を得た。晩年、革命以後は財産、名声ともに失い、不遇の中で世を去った。(「近世フランスの絵画と版画−東京富士美術館コレクションによる」図録 2002年) |
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