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しゅんじゅう 春秋(双幅のうち「秋」)
岡倉天心のもとで二人が協力して、新しい画法「朦朧体」に取り組んでいた時期のもので、大観が春の図を、春草が秋の図を描いた合作である。二幅の作品は、異なった個性によって描かれたが、統一された印象を与えている。線を用いない表現の実験を、美術史的な課題とする問題意識の共有や、流派の修行を経ることなく美術学校で学んだ経歴を考え合わせると、納得できることだろう。二人は、この「朦朧体」の実験の後、自己の個性を発揮させる新たな表現の模索を始めていくことになる。(「近代日本画への道程 「日本画」の19世紀」図録 1997年)
カテゴリー:作品
ドランとは?【 作家名 】 フランス、シャトゥーに生まれる。アカデミー・カリエールやアカデミー・ジュリアンで学ぶ。マティスとは旧知の間柄。1900年ヴラマンクと知り合い共同のアトリエで制作する。1905年夏のマティスとの共同製作を経て、その秋、フォーヴィスムの名称がおこったさとれるサロン・ドトンヌに出品する。1907年ピカソ、ブラックらとの交流を通じて、キュビスムや黒人彫刻の影響を受ける。その後セザンヌの作風に近づくが、1911年以降はルネサンスの影響を受ける。また、1920年ごろからは、ドラクロワのロマン主義とコロー、クールベらの写実主義を折衷した、新古典主義風の独自の作風を確立する。(「パリ・日本・メキシコ 埼玉県立近代美術館所蔵作品による」図録 1992年) |
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