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しゅんじゅう 春秋(双幅のうち「秋」)
岡倉天心のもとで二人が協力して、新しい画法「朦朧体」に取り組んでいた時期のもので、大観が春の図を、春草が秋の図を描いた合作である。二幅の作品は、異なった個性によって描かれたが、統一された印象を与えている。線を用いない表現の実験を、美術史的な課題とする問題意識の共有や、流派の修行を経ることなく美術学校で学んだ経歴を考え合わせると、納得できることだろう。二人は、この「朦朧体」の実験の後、自己の個性を発揮させる新たな表現の模索を始めていくことになる。(「近代日本画への道程 「日本画」の19世紀」図録 1997年)
カテゴリー:作品
ミロとは?【 作家名 】 1893年スペインに生まれる。1983年没する。1912−15年フランセスク・ダ・ガリ・ファブラに学ぶ。特に、目を閉じて対象に触れてデッサンをすることを学ぶ。1918年ダルマウ画廊で初の個展を開催。1920年パリへ最初の旅行を行う。1924年アンドレ・ブルトンらと知り合い、シュルレアリスム運動に参加。1925年「シュルレアリスムの絵画」展(ピエール画廊)に出品。1929年ピラール・ジュンコサと結婚。1930年ピエール画廊で個展、また、ニューヨークのヴァランタイン画廊でアメリカで初の個展を開催。1932年バルセロナに居を定める。同年、ニューヨークのピエール・マティス画廊で初の個展を開催。1936年スペイン内乱勃発のためパリに留まる。1937年パリ万博スペイン館のために〈刈り入れ人〉を制作。1940年マヨルカ島パルマに移る。1941年〈星座〉の連作を完成。1944年最初のブロンズ彫刻を制作。1970年大阪万博のための壁画を制作。1976年ミロ財団が公式に開館。パルマ・デ・マヨリカで死去。 |
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