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たそがれ 黄昏
この作品は美工の卒業作品で、黄昏時の子守りの姿という、何気ない市井の風俗を描いており、歴史風俗を描くことの多かった泰山の出発点にこうした日常的な世界へのやさしい目があることを理解させてくれる。しかし、その背景に描かれる草なす崩れた土壁に、古いものを慈しむような感覚をすでに感じさせるところに、作者が持つ資質を垣間見ることができる。(「京都の日本画−京都画壇の俊英達−」図録 2001年)
カテゴリー:作品
脂派とは?【 美術用語 】 一般に明治美術会系の画家の画面が脂っぽい印象を与えることから、世間がこの系統の作家と作品を揶揄して用いた名称。紫派と呼ばれる黒田清輝を中心として形成された外光派との対比で用いられた。ほかに旧派、北派、変則派とも呼ぶ。1893年ラファエル・コランにサロン風の外光描写を学んだ黒田が帰国するまで、日本の画家は外光描写を知らず褐色を基調として明暗のコントラストを鳶色あるいは黒で表現したため、画面は暗く脂っぽいものとならざるを得なかった。それに対して明るく感覚的な黒田の外光表現は清新な感動をもって若い画家に迎えられ、やがて当時唯一の官展であった文部省美術展(文展)の画風を支配していった。ジャーナリズムは両者の対立を脂派と紫派の抗争とあおったが脂派は画壇の片隅に追いやられていった。 |
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