![]() |
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| データベースを使った楽しいサービスです。文中のキーワードをクリックすると、解説文があらわれ、同時に検索結果が表示されます。ぐるぐるキーワードをたどって遊んでみてください。 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
さかいのあいおいばし 堺の相生橋
この作品は第16回新古美術品展で3等賞を受けたもので、画題である相生橋は堺、寺地町の西端にあり、新地と寺町を結ぶ運河に架かる橋である。煉瓦を積み上げた河岸風景は忙しく立ち働く庶民を点景に取り込み、洋画の影響を見せて明るく新鮮だ。鮮やかな群青に塗られた河面を大きく取り込むことで逆に空の青さと広さを表現している点に、近代的な感覚に裏付けられた巧みさを見ることができる。(「京都の日本画−京都画壇の俊英達−」図録 2001年)
カテゴリー:作品
脂派とは?【 美術用語 】 一般に明治美術会系の画家の画面が脂っぽい印象を与えることから、世間がこの系統の作家と作品を揶揄して用いた名称。紫派と呼ばれる黒田清輝を中心として形成された外光派との対比で用いられた。ほかに旧派、北派、変則派とも呼ぶ。1893年ラファエル・コランにサロン風の外光描写を学んだ黒田が帰国するまで、日本の画家は外光描写を知らず褐色を基調として明暗のコントラストを鳶色あるいは黒で表現したため、画面は暗く脂っぽいものとならざるを得なかった。それに対して明るく感覚的な黒田の外光表現は清新な感動をもって若い画家に迎えられ、やがて当時唯一の官展であった文部省美術展(文展)の画風を支配していった。ジャーナリズムは両者の対立を脂派と紫派の抗争とあおったが脂派は画壇の片隅に追いやられていった。 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||