![]() |
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| データベースを使った楽しいサービスです。文中のキーワードをクリックすると、解説文があらわれ、同時に検索結果が表示されます。ぐるぐるキーワードをたどって遊んでみてください。 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
きたののうらのうめ 北野の裏の梅
波光は京都のひと。本名は幾次郎。美工の研究科在学中、明治40年の第1回文展に「夕月」が初入選、同42年の絵専の設立とともに2年に編入した。大正7年の第1回国画創作協会展で「降魔」が国画賞となり、翌年から会員として参加する。また同7年絵専の助教授となってから没年まで永く指導にあたり、その篤実な人柄と指導によって後々まで慕われ、精神的な影響は大であった。昭和3年の国展解散の後は画壇を離れ、仏画研究と古画の模写に専念した。法隆寺金堂壁画の模写など貴重な仕事を残した。この作品は、国展などの清澄典雅な作調とは違って、写生による線描の味わいが生かされた繊細な表現になっている。栖鳳が、「観察最真率で全体より来る感じ」がいいと評している。(「京都の日本画−京都画壇の俊英達−」図録 2001年)
カテゴリー:作品
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||