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れいえん 麗艶
この作品は骨牌に興ずる中国女性を描いたもので、濃厚な色彩が後年の南人子の作品とは違った世界のあったことを教えてくれる。この作品には画想の契機となった作品がある。美工・絵専両校校友会誌『美』の明治44年9月号に掲載された「美人双陸図」で、仇英と陸治の合作という明画であるが、この画中の人物は「麗艶」と極めて類似しており、当時絵専の3年生であった南人子が、この中国画に強い興味を持ったことが想像できる。(「京都の日本画−京都画壇の俊英達−」図録 2001年)
カテゴリー:作品
村上華岳とは?【 作家名 】 1888年大阪に生まれる。1939年没する。医師の武田誠三の長男として生まれるが、1901年(明治34)、村上家の養子となる。1903年京都市立美術工芸学校に入学し、円山四条派の画法を学ぶ。1907年に卒業し同校専攻科に進むが、翌年京都市立絵画専門学校の設立にともない、同校本科2年に編入学する。また同年の第2回文展に初入選し、3等賞を受賞した。1914年(大正3)の第19回新古美術品展で3等賞受賞、16年の第10回文展では特選となる。1918年に国画創作協会の結成に参加して創立会員となり、25年の第5回展まで出品を続けるが、その後は画壇と接触することなく制作をおこなった。大和絵、琳派、浮世絵、宋元院体画、ジョットなどのイタリア絵画、インド美術を広く研究した華岳は、これら東西の古典を消化したのち、1919年前後から、細密な写実描法のなかに、神秘的な宗教感を漂わせた制作をおこなう。後期は水墨による山水や仏画を描く。(「大正の新しき波 日本画1910−20年代」図録 1991年、一部加筆有) |
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