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がいしゅつまえ 外出前
この作品は夏の外出前に身支度をする女性を描いたもので、絵専卒業作品である。鏡台と顔を見せずに身づくろいをする女性の取り合わせは、彼の美工卒業時に土田麦僊が発表した絵専の卒業作品「髪」を強く意識したものといえる。黒髪と白い二の腕のなまめかしい表現は作者の早熟な感性をうかがわせるが、縦構図を生かした幾何学的な構成は、画面を縦に3分割した中央部分に要所をまとめて、うまく主題である女性に視点を導く工夫をしている。繊細な描写力や緊密な構成力を持ちながら卒業後目立った活動の痕跡がなく、画壇での発表が見られないのは不思議でもあり、残念な画家である。(「京都の日本画−京都画壇の俊英達−」図録 2001年)
カテゴリー:作品
都路華香とは?【 作家名 】 本名辻宇之助。明治13年幸野楳嶺に入門し内国勧業博覧会で受賞を重ねる。のちに、竹内栖鳳、菊池芳文、谷口香きょう(*)らと楳嶺門下の四天王と呼ばれた。新古美術品展、全国絵画共進会展、文展でも受賞を重ね、大正5年第10回文展で特選を受賞する。明治末年ころより波を研究し、大正元年の《良夜》などに見られるような四条派に水墨の趣を入れた作品を発表した。その後も写実から装飾にいたる幅広い作風を展開している。14年帝国美術院会員に任命され、15年には京都市立の絵画専門学校と美術工芸学校の校長をつとめた。(「京都国立近代美術館 所蔵名品集[日本画]」増補版 2003年) *・・・「きょう」は、やまへん(山)と喬からなる漢字(Unicode:5DA0) |
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