ぐるぐるアートワード
データベースを使った楽しいサービスです。文中のキーワードをクリックすると、解説文があらわれ、同時に検索結果が表示されます。ぐるぐるキーワードをたどって遊んでみてください。
ぐるぐるもくじ


ヤウレンスキー



夜会の後で



ヤクバ



ヤコブセン



安井曾太郎



保田春彦



安田靫彦



保田龍門



谷内茂



やなぎみわ



柳幸典



柳原義達



脂派



屋根裏の散歩者



屋根裏の散歩者



屋根の見える風景



矢野橋村



薮内佐斗司



矢部友衛



山岡清紫


<前 (1/8ページ) 次>

●もくじのさくいん

    

    

記事カテゴリ

 すべて

 作家(1701)

 作品(1851)

 美術用語(163)

 その他(1)


うご

雨後

作家名:福田平八郎
制作年:1915年
技 法:屏風(六曲一隻)・絹本著彩
平八郎は大分のひと。美工から絵専に進んだ同じ年の第1回帝展に初入選。第3回帝展で「鯉」が特選となり、その後も第5回展「牡丹」、第8回展「茄子」、第9回展「菊」など花鳥画題に代表作を発表する。また大正13年からは、絵専助教授として指導にあたり、健康がすぐれずに辞任する。昭和12年まで続ける。昭和7年第13回帝展の「漣」以後は、新感覚の独自の新しい表現が注目され、戦後日展の「新雪」など、感性的な対象把握と色彩感覚が見られる。晩年は装飾性を強めていくが、昭和36年第4回新日展「花の習作」のように、斬新な表現は衰えることがなかった。同36年文化勲章受章。この作品は、雨上がりのしっとりと花の重みに垂れる萩を横長の画面に構成良く描ききった力作で、作者が余白としての空間の効果も考えていたのがうかがえる。(「京都の日本画−京都画壇の俊英達−」図録 2001年)


カテゴリー:作品
  いまクリックまたは、検索したキーワードの解説

福田平八郎とは?【 作家名 】

大分市に生まれる。明治43年(1910)に京都に出て、京都市立絵画専門学校別科に入学する。翌44年市立美術工芸学校に入学し直し、大正4年(1915)に同校を卒業したのち、絵画専門学校に学んだ。卒業制作の構想に悩んでいた際、同校で美学を講じる美術史の中井宗太郎から、自然を客観的に見つめることの必要性を示唆され、写生を重視する態度を学んだ。絵画専門学校卒業後、大正8年の第1回帝展に初入選し、10年の第3回展では特選を受けて宮内省買い上げとなる。以後、宮展を主な活動の場とした。昭和22年(1947)帝国芸術院会員、ついで日本芸術院会員となる。昭和36年文化勲章を受章、文化功労者となった。「安石榴」は、大正期の平八郎の作風をよく示した作品で、大正9年の第2回帝展に出品された。現実の自然を正確に写生する態度とともに、ここには、当時の国展出品作の傾向や、宋元院体花鳥画に学んだあともみられる。大正13年に彼は、小林観雨、池田遥邨、岡本神草、青木生沖、徳岡神泉らとともに古画の研究会をつくるが、その時期の作品では、宋元院体花鳥画の影響がより色濃いものとなっている。(「大正の新しき波 日本画1910−20年代」図録 1991年)

  画面右にこのキーワードの再検索結果が表示されています。そちらもご覧ください。

キーワード検索




けんさくけっか

キーワード

福田平八郎

キーワードを含む記事
3件見つかりました。

  口紅

  徳岡神泉

  福田平八郎


<前   次>

徳島県立近代美術館2006