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くちべに 口紅
神草は神戸のひと。本名敏郎。別号静村。美工を経て大正7年に絵専を卒業する。40歳に満たぬうちに亡くなり、遺された作品は少ない。この作品は、大正7年第1回国画創作協会展に出品され話題となった作品である。神草は第3回国展に「拳を打てる三人の舞妓の習作」を発表してのちは帝展に移り、大正10年第3回帝展に「拳を打てる三人の舞妓」、昭和3年第9回展に「美女遊戯」、同7年第13回展に「婦女遊戯」を出品した。大正11年福村祥雲堂の主宰する九名会展に福田平八郎、宇田荻邨、堂本印象らと共に参加する。国画会が解散する昭和3年には第9回帝展に「美女遊戯」を出品し、昭和7年第13回帝展に「婦女遊戯」を出品するが翌年没した。舞妓や婦人をモチーフに妖艶というにふさわしいデカダンな雰囲気の独自の女性像を追求した。(「京都の日本画−京都画壇の俊英達−」図録 2001年)
カテゴリー:作品
キスリングとは?【 作家名 】 ポーランド、クラクフに生まれる。同地の美術アカデミーで学んだ後、1910年パリに出てモンマルトルに住み、エコール・ド・パリの代表的作家となる。モディリアニ、シャガール、スーチン、ピカソ、ブラックや、詩人マックス・ジャコブらと親しく交わる。第一次世界大戦では、外人部隊に志願するが、重傷を負い、兵役を解かれてスペインで療養する。1916年フランス国籍を得る。キュビスムからも影響を受けるが、ドランからの影響が最も大きい。第二次世界大戦の際アメリカに亡命するが1946年フランスに戻る。肖像や裸婦、静物(特に花)などを多く描いたが、特に異国的情緒の漂う裸婦が有名である。(「パリ・日本・メキシコ 埼玉県立近代美術館所蔵作品による」図録 1992年) |
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