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「第13回ウィーン分離派展カタログ」



「第13回ウィーン分離派展カタログ」



第14回ウィーン分離派展ポスター



「第14回ウィーン分離派展カタログ」特集号/(ドイツ美術と装飾)



第15回ウィーン分離派展ポスター



「第15回ウィーン分離派展カタログ」



「第17回ウィーン分離派展カタログ」



「第18回分離派展カタログ」/(グスタフ・クリムト)



第2回ウィーン分離派展ポスター



「第20回ウィーン分離派展カタログ」



「第20回サロン・デ・サン」のポスター



「第31回ウィーン分離派展カタログ」/(現代ロシア美術)



第5回ウィーン分離派展ポスター



「第5回ウィーン分離派展カタログ」



第6回ウィーン分離派展ポスター



「第6回ウィーン分離派展カタログ」



第7回ウィーン分離派展ポスター



「第7回ウィーン分離派展カタログ」



第8回ウィーン分離派展ポスター



「第8回ウィーン分離派展カタログ」


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 作家(1701)

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おくむら とぎゅう

奥村土牛

1889年東京に生まれる。本名義三。1905年(明治38)16歳で梶田半古門に入り、塾頭小林古径に指導を受ける。1907年東京観業博覧会に入選、1908年と9年の巽画会では褒状を受ける。1917年(大正6)より「土牛、石田を耕す」(『寒山詩』)からとった土牛を号す。生涯を通じて師と仰いだ小林古径のもとに住みこみ学ぶ機会を得た土牛は、古径から芸術に真摯に対峙する態度を学んだ。古径は自分とは異質な土牛の才能を見抜き、東洋古典の高い精神性とともに西洋の新しい美術資料を提供した。さらに、院展を二度落選した土牛に、速水御舟を紹介し、その後の制作の指針を与えている。この御舟との出会いがきっかけとなって、写生から厳しく自然の造形を読みとる作風を生み出し、第14回再興院展に初入選を果たし、以後毎年入選を重ねて1929年(昭和4)院友、32年同人に推挙され、院の中心で活躍する。1936年改組第1回帝展で注目され名声を揺ぎないものとした。土牛は101歳の天寿を全うするまで自らの納得できる芸術を求めて牛歩のように歩み、後進の画家たちの範となった。(「大正の新しき波 日本画1910−20年代」図録 1991年)


カテゴリー:作家
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バロックとは?【 美術用語 】

広義では16世紀末から18世紀初めまでの美術、文学、音楽等の様式や、時代精神を指す。美術においてはルネサンスの後にくるマニエリスムと、18世紀のロココの間にあたる。狭義ではベルニーニをその代表とする1630年頃のイタリアの建築、彫刻、絵画のことを指す。ルネサンスの成果である新しい科学技術によって、交通手段や情報伝達が発達したこの時代、人々の世界観は大きくゆらぎ始めた。古代ギリシア,ローマを模範とする考えはそのバランスを失っていく。しかし、なおかつ新たな統一を目指そうという傾向が生まれた。装飾過多であったり、形をゆがめたり、特定の瞬間に焦点をあてたり、線よりも面や光を重視したりする手法がとられるようになる。それらはおおむね、迫真性をもった劇的な表現を見せているが、この時代の精神の多岐にわたる現われ方は、けっしてひとまとめにできるものではない。この時代の作家たちとして、ベルニーニのほかに、カラヴァジオ、ルーベンス、レンブラント、フランス・ハルスエル・グレコ、ベラスケスらがいる。

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