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いしかわ かんがん 石川寒巌
1890年栃木県に生まれる。本名寅寿。1911年(明治44)上京し、大平洋画会研究所に通う。また佐竹永邨に就いて南画を学んだ。翌年肺炎にかかり帰郷、郷里で那須雲照寺の釈戒光について参禅、導師より寒巌の道号を与えられる。1920年(大正9)再上京し小室翠雲に師事、22年の第2回日本南画院に入選、好評を得る。ついで第4回展で同人に推挙され、以来日本南画院展を舞台に活躍した。また、小堀鞆音、小杉放菴ら栃木県出身の在京日本画家による華厳社の結成に参加する一方、小杉放菴の提唱で始まった公田連太郎、山中蘭径、鹿島龍蔵、木村荘八、岡本一平、森田恒友らの中国思想研究会「老荘会」にも参加する。粉本主義を排して、郷里の風景や、東京近郊に残る武蔵野のおもかげを描くという写実による南画を実践し、新南画の領袖として、また異端の南画家として、日本南画院のみならず、帝展出品作家にまで影響を与えた。後期は、琳派などの装飾性も吸収してその調和を計ろうとしたが、新しい画風の完成をまたず、盲腸炎再発のため急逝する。(「大正の新しき波 日本画1910−20年代」図録 1991年)
カテゴリー:作家
ビュランとは?【 美術用語 】 銅版や木口木版を彫るために用いる彫刻刀。全長約12cmの鋼鉄製の棒で、刃先は斜め45度に切断され、菱形か正方形の断面を持っている。他端から全長の3分の1の部分で折れ曲がっており、その先に木製の握りがついている。使用法は、指で先端の方向を定めながら、握りを手のひらで押し、版面に水平に近く彫り進める。刃先はV字型に版面に食い込み、明快で硬質な線が刻まれる。抵抗の大きいビュランを自在に操り、髪の毛の数分の1の線からあらゆる太さの線までを彫刻するには相当の熟練を必要とする。ビュランは、銅版画の中でも直刻法によるエングレーヴィング版画、そして木口木版画の中心工具であって、鋭い刻線によって繊細で精密な表現を可能にする。ところで、木口木版画も含めて線刻彫版画をエングレーヴィングと総称するが、またこの彫刻刀の名をとってビュランと呼ぶこともある。 |
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