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とうしんさんすい 冬真山水
芳崖は、狩野派の伝統のなかで自己の資質を磨き、フェノロサや岡倉天心に伴い、新しい日本画の創造に努めた作家のひとりである。作者は、文久元年に雪舟の「山水長巻」を模写し、以後幕末から維新後にかけて、特に山水画を中心に雪舟の研究に努めている。明治元年、芳崖が40歳の時に描いた本作品は、伝統的な近景、中景、遠景を意識しながら、鋭利な岩山が力強く連続的に形作られた画面構成であり、小品ながら雄大で墨の潤いが美しい作品である。(「日本の美−再発見 富山県水墨美術館収蔵作品集」 2005年)
カテゴリー:作品
川上冬崖とは?【 作家名 】 1827年長野県に生まれる。江戸に出て大西椿年に学び岸太郎と称する。蕃書調書に入り、絵画取調出役、画学出役となって洋画法を研究し、後進を指導。明治維新後、大学南校(東京大学の前進)、文部省、陸軍兵学寮、陸軍参謀局に勤める。第1回、第2回内国勧業博覧会美術部の審査主任。1870年下谷に私塾聴香読画館を設けて青年たちに西洋画法を教える。(「みづゑのあけぼの 三宅克己を中心として」図録 1991年) |
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