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ちくそうこうがず 竹窓高臥図
賛は「人間万事塞翁が馬、枕を推して軒中に雨を聴いて眠る」で、人生の幸・不幸は前もって予測できない。幸・不幸も喜んだり悲しんだりするにあたらない。人生をくよくよせず、枕を押し動かし家の中でゆったりと雨音を聞いて眠る。という意味。また、作品には大正8年の小春日、鉄斎84歳の時に描いたことが記されている。作者は、本作品が描かれた前年の12月23日、長男の謙蔵(46歳)を亡くしている。(「日本の美−再発見 富山県水墨美術館収蔵作品集」 2005年)
カテゴリー:作品
小田海僊とは?【 作家名 】 1785年周防(現在の山口県)に生まれる。1862年没する。名は瀛、字は巨海。通称良平、南豊とも号した。下関で育ち、京都に出て、四条派の呉春に師事した。呉春の没後、長崎など九州を遊歴し、中国絵画を学び、南画を描いた。頼山陽、田能村竹田、浦上春琴などの儒者、漢詩人、画家などと交流。文政7年(1824)萩藩毛利家の御用絵師となるが、2年後、修練のため京都居住が許される。『海僊画譜』『十八描法』などの画譜を刊行。晩年は、京都画壇を代表する画家のひとりとなった。(「近代日本画への道程 「日本画」の19世紀」図録 1997年) |
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