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うずびょうぶ 烏図屏風
竹竿に止まった4羽のカラスが描かれた屏風の大作である。カラスの細かな動きが的確な写生で描かれ、いまにも鳴き声が聞こえてきそうな趣のある作品である。画面左に描かれた稲束は作品の季節を暗示し、背景となる大きな空間には裏箔に薄く墨をひいて、この季節特有の柔らかい光をかもし出している。本作品は、作者の確かな描写力と情趣表現が融合しており、新たな日本画の創造を目指す作者の絵画姿勢が伺える。(「日本の美−再発見 富山県水墨美術館収蔵作品集」 2005年)
カテゴリー:作品
塩川文麟とは?【 作家名 】 1808年京都に生まれる。1877年没する。生年には異説がある。父は、安井蓮華光院門跡の侍者。字は子温。幼名は隼人。通称図書。はじめ草章と号し、可竹斎などの別号がある。門跡に画技を認められ、岡本豊彦に師事して四条派を学ぶ。弘化2年(1845)に豊彦が没してからは、四条派を率い、明治初期までの京都画壇を代表する画家のひとりとなった。安政年間の御所再建に際して、常御殿などの絵画制作に携わった。明治元年(1868)、中島来章、円山応立、国井応文らと如雲社を結成して、京都の画家たちの結束を深めた。明治9年(1876)フィラデルフィア万国博覧会に出品。門人には、幸野楳嶺がいる。(「近代日本画への道程 「日本画」の19世紀」図録 1997年、一部加筆有) |
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