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ぬま 沼
芋銭の作品に共通して見られる特色は幻想性と土着性とユーモアであるが、本作品にはこれらの特色がよく表現されている。この作品に描かれている沼は芋銭の家の近くの牛久沼であるが、芋銭はこの沼に住む河童や魚を題材として数多くの作品を描いている。芋銭は画家として画壇に登場する前にすでに漫画家として世に知られていたが、通常の画家の持たない才能を横山大観に高く評価されて日本美術院の同人に推挙されている。この作品では牛久沼周辺に住む人々の素朴な生活を描いているが、まるで幻影のように湖面に浮かぶ漁夫の姿や、ねじ曲がった木々などが不思議な幻想と詩情を醸し出している。(「日本の美−再発見 富山県水墨美術館収蔵作品集」 2005年)
カテゴリー:作品
ジョセフ・アルバースとは?【 作家名 】 1888年、ドイツに生まれる。1913年から15年までベルリンの美術アカデミーで学び、美術教師の資格を取る。1916年から19年までは小学校の教師をしながら美術工芸学校に学ぶ。1919年から20年にかけてミュンヘンの美術アカデミーでクレー、カンディンスキーらの教えを受ける。1920年にヴァイマルのバウハウスに入り、22年まで学び、23年からはステンドグラス工房と基礎課程で指導にあたる。基礎課程ではモホリ=ナギと共に親方をつとめる。デッサウに移り、1928年からは家具工房の親方も勤めた。1933年には、ナチスから逃れて早々とアメリカへ亡命しノース・キャロライナ州、ブラック・マウンテン大学の教授となる。1933年から46年にはパリのアブストラクシオン=クレアシオンに参加、またアメリカ抽象芸術家協会にも参加する。戦後の1950年 にはイェール大学に移る。またハーバード大学やシンシナティ芸術アカデミーなどで幅広く指導を行う。そのほかにもメキシコ、キューバ、チリ、ペルー、ハワイ、日本など世界各地の大学で講演を行う。展覧会も各地で開催された。(「亡命者の奇跡 アメリカに渡った芸術家たち」図録 1993年) |
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