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ぬま 沼
芋銭の作品に共通して見られる特色は幻想性と土着性とユーモアであるが、本作品にはこれらの特色がよく表現されている。この作品に描かれている沼は芋銭の家の近くの牛久沼であるが、芋銭はこの沼に住む河童や魚を題材として数多くの作品を描いている。芋銭は画家として画壇に登場する前にすでに漫画家として世に知られていたが、通常の画家の持たない才能を横山大観に高く評価されて日本美術院の同人に推挙されている。この作品では牛久沼周辺に住む人々の素朴な生活を描いているが、まるで幻影のように湖面に浮かぶ漁夫の姿や、ねじ曲がった木々などが不思議な幻想と詩情を醸し出している。(「日本の美−再発見 富山県水墨美術館収蔵作品集」 2005年)
カテゴリー:作品
長谷川潔とは?【 作家名 】 1891年神奈川県に生まれる。1980年没する。1911年には黒田清輝から素描を、12年には岡田三郎助、藤島武二から油彩を習う。この頃から木版画を始め、1913年には文芸誌『仮面』の同人となって、表紙、口絵などを作る。1916年には、永瀬義郎、廣島晃甫と共に日本版画倶楽部を結成する。1919年にはフランスへ渡る。1923年、サロン・ドトンヌに出品、24年にはメゾチント(マニエール・ノワール)の技法を復活させる。1926年にはパリで初の個展を開く。1935年には、レジオン・ドヌール勲章を受けるが、45年、敗戦でパリの監獄に1ケ月収容される。1960年に、サロン・ナショナル・デ・ボザール版画賞を受賞、66年にはフランス文化勲章、67年には勲三等を受けた。1980年に亡くなるまで、1度も帰国しなかった。あらゆる版画技法を用い、また油彩も描いたが、メゾチントを復興させた功績は大きい。風景や小鳥、静物を、静かに神秘的に描き出した彼の画面は、高い評価を受けている。 |
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