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たてやまえんぼう 立山遠望
横山大観は、明治34−36年に4〜5回富山を訪れ富山の風景を描いている。大観が知人に宛てた書簡や富山に残る写真から、明治35年8月19日に東京を出発し、20日に富山県高岡市に到着。その後3〜4日間アメリカ人カーチスと立山に登った記録が残っている。本作品は大観の画業を顕彰する初期作品であり、また、富山来歴の史実を証明する重要な作品である。(「富山県水墨美術館収蔵作品 2003〜2005」 2005年、加筆有)
カテゴリー:作品
キルヒナーとは?【 作家名 】 ウィーンでエレガントな有閑マダムや高級娼婦を描く絵描きとして出発、その後、1900年頃にパリへ移住、肖像画家として活動するほか、雑誌(特に「ラ・ヴィ・パリジェンヌ」)や単行本の挿絵を描いた。一時ロンドンにも滞在し、そこで「ザ・スケッチ」の挿画を描いていた。世界大戦勃発後、彼はニューヨークへ行き、主に女性を描く肖像画家として活動した。キルヒナーが知られているのは、サロン、バー、ナイトカフェなどにたむろして、一種エロティックな仕草をしたがる刺激的な女性たちの絵描きとしてであり(「玩具」、「サルタンの妃」、「青春」、「引っ張られるアモール」)、また、‘キルヒナー・ガール’の呼び名でポピュラーになったモンマルトルのやくざ女の代弁者としてである。1904年、彼はミュンヒェン水晶宮の展覧会に「ウェスタの処女」を出品した。フランス美術協会のパリ展には、1906年、婦人肖像画、1913年、「釈放」、1914年、「御託宣」を出品した。また、パリのユーモリスト展にも多数の水彩画を出品した。彼の水彩画のカラー複製は、特にマックス・ヘルツベルク書店(ウィーン)から出版されている。 |
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