![]() |
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| データベースを使った楽しいサービスです。文中のキーワードをクリックすると、解説文があらわれ、同時に検索結果が表示されます。ぐるぐるキーワードをたどって遊んでみてください。 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
かれきさぎ 枯木鷺
観山は、横山大観、菱田春草とともに岡倉天心門下の三羽烏と呼ばれ、日本画の近代化を推進した作家の1人で、東洋的幽玄美にあふれ静かで知的な名作を多く残している。本作品は、枯木と鷺という伝統的なモチーフをもちいながらも、輪郭線を使わない没骨法で描かれ、これまでの日本画の風景とは一線を画した近代的感覚あふれる作品になっている。特異で微妙な画境を示す秀作であり、とりわけ枯木の枝に集う鳥の描写は情感にあふれている。(「日本の美−再発見 富山県水墨美術館収蔵作品集」 2005年)
カテゴリー:作品
藤田嗣治とは?【 作家名 】 1886年東京都に生まれる。1968年没する。(スイス、チューリヒ)。1910年東京美術学校西洋画科を卒業する。1913年フランスに渡り、ピカソやモディリアーニらと交友する。乳白色のなめらかな絵膚に線描する独自の画風を創り出し、1919年サロン・ドトンヌの会員、2年後に審査員に推挙されるなど、一躍エコール・ド・パリの寵児となる。1929年一時帰国したあと、1930年から33年にかけてパリを足場に中南米各地で制作、39年から40年にかけて再度フランスに渡る。その間1934年二科会会員、41年帝国芸術院会員となり、43年朝日文化賞を受賞する。戦後は1949年アメリカを経てフランスに渡り、55年フランスに帰化、57年レジオン・ドヌール勲章を受賞、59年ベルギー王立アカデミー会員となる。1959年カトリックの洗礼をうけてレオナルド・フジタと改名、晩年はフランスのノートル=ダム・ド・ラ・ペ礼拝堂の設計、壁画制作に没頭する。(「ピカソと日本」図録 1990年) |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||