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けいざん せんがんきょうしゅうえい 渓山(千巌競秀叡)
本作品は、79歳の時に制作された桂月の代表作品である。木々が鬱蒼と茂った山あいを流れる渓流を描いたこの作品には、喜寿を越えた桂月の気力の充実ぶりと、いかにも仁侠的で親分肌であったといわれる桂月の気迫が感じられる。画面は作者の得意な構図であり、細部には墨の濃淡、潤渇、疎密などを的確に描き分ける熟達の筆技が遺憾なく発揮されている。昭和41年、日本南画院を創設するなど水墨画壇の重鎮として活躍し、戦後のカラフルで感覚的な日本画がもてはやされる風潮の中にあって、水墨画を今日の隆盛に導いた功績は大きい。(「日本の美−再発見 富山県水墨美術館収蔵作品集」 2005年)
カテゴリー:作品
池田輝方とは?【 作家名 】 1883年東京都に生まれる。建具職池田吉五郎の次男。1895年(明治28)水野年方に内弟子として入門、鏑木清方、荒井寛方、大野静方らとともに年方門の四天王といわれる。1902年日本美術協会、日本美術院連合の第12回絵画共進会展、翌年の第13回展で1等褒状を、4年の第14回展で銅賞三席を受ける。清方らにより1901年に結成された烏合会に参加。1903年同門の蕉園と婚約するが、紆余曲折の末、11年結婚する。この間、1907年川合玉堂に入門。1912年第6回文展で褒状を、第8回展で3等賞、第9回展で2等賞を受け、第10回展では蕉園とともに夫妻そろって特選を受賞した。1917年(大正6)妻蕉園が病没。1919年、石井林響、山内多門らと如水会を結成し、この年の第1回帝展にも出品するが、21年結核のため逝去する。(「大正の新しき波 日本画1910−20年代」図録 1991年) |
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