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ばんざんざんしょう 晩山残照
幼少の頃から画家であった父・平福穂庵から絵のてほどきを受けるが、穂庵の没後、鈴木百年に天与の画才を認められる。本作品は死の5年前、百穂が51歳の最も充実した時期の作品であり、歌人らしい研ぎ澄まされた感性がよく反映されている。残照に赤く染まった晩秋の高原の風景を近代的なシャープな墨線で表現しながら、しみじみとした東洋的な諦観を漂わせている。薪を背負って冬近い山道を下っていく2人の後ろ姿が寂蓼感をいっそう深めている。晩年の百穂は写生と南画的手法を融和させた独自の透明感のある画境に到達する。(「日本の美−再発見 富山県水墨美術館収蔵作品集」 2005年)
カテゴリー:作品
クラインとは?【 作家名 】 1928年フランスに生まれる。1962年没する。1944−46年ニースの国立商船学校、国立東洋学校に学ぶ。また柔道を学び始める。1947年「モノトーン」の構想を得て手や足によるプリントを試みる。1952年来日、1年間滞在し、講道館で四段を得る。1954年から、モノクローム絵画の画集、風船による〈気体彫刻〉や〈スポンジ彫刻〉〈1分間の火の絵画〉などを次々と発表、1958年には画廊内部を空っぽにして白く塗った「空虚」展などを発表し、話題をまく。フランスでネオ・ダダやポップアートに相当する活動を展開したヌーヴォー・レアリスムのグループ結成式を、1960年自宅で行う。自ら「インターナショナル・クラインズ・ブルー」と名付けた、青一色のモノクロームの画面や、金箔・火・水・空気など、ギリシヤ哲学に見られる元素に発想を求めた造形、あるいは人体に絵具を塗って画面にプリントを試みるなど、彼の活動は、芸術そのものの意味を問い掛けている。デュシャンと並んで20世紀美術の最も本質的な問題に関わった作家。 |
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