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ちごもんじゅ 稚児文殊
契月は、浪漫的な雰囲気を持った歴史画を得意とし、文展、帝展の花形作家として活躍した作家である。仏画、大和絵、浮世絵等の古画の研究を深め、これらの伝統的な描法に現代感覚を加えた「新古典主義」といわれる清澄端麗な画風を完成した。本作品も、作者の画風の特色をよく示しており、白描風に描かれた稚児は、聡明な表情を浮かべ、墨筆の妙技とともに画面全体からは高雅な雰囲気が漂っている。(「日本の美−再発見 富山県水墨美術館収蔵作品集」 2005年)
カテゴリー:作品
ネオ・ダダとは?【 美術用語 】 1950年代の末、ニューヨークにおいて、ラウシェンバーグとジャスパー・ジョーンズが、あいついで個展を開いた。当時の美術の世界は、抽象表現主義が全盛をきわめていたが、その中で彼らは、日常の具体的、卑俗的な、すぐそれと知れるようなものを画面に登場させ、大胆な画風を示した。ラウシェンバーグは、絵画に布や写真、印刷物などを加えて、雑多なイメージを画面に集めてくるコンバイン・ペインティングを、ジョーンズは国旗や標的などを画面にクローズアップすることで、反芸術の新しい表現スタイルをうちだした。これらの創作活動を、芸術に対する挑戦的な姿勢とみなし、「ダダの再来」という意味でジャーナリストが名付けたものが「ネオ・ダダ」である。日本も1960年の読売アンデパンダン展に、ネオ・ダダ・オルガナイザーズというグループが出品するなど、影響を受けている。ネオ・ダダは抽象表現主義につづき、後のポップ・アートの出現をまつことになる。 |
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