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やまじ 山路
紫紅の画家としての生活はわずか20年にも満たなかったが、この間、宗達や大和絵や印象派や南画などさまざまなものを取り込みながら、常に新たな日本画の創造に邁進した。本作品は、明治44年頃に制作されたものであるが、この時期、紫紅は小田原に住居を移し新しい画法に専念していた。画面の二つの山稜は墨による点描で描かれるなど苦心の跡がうかがわれる。横山大観にも制作時期を同じくする「山路」という作品があり、描かれている馬子も点描風の描き方もよく似ているところからこの頃の紫紅と大観との関係を推察することができる。(「日本の美−再発見 富山県水墨美術館収蔵作品集」 2005年、加筆有)
カテゴリー:作品
タルとは?【 作家名 】 ネグリチュードの詩人としても知られた文人大統領サンゴールが打ち出した、新生セネガルの発足に際しての文化振興政策の思想は、アフリカの伝統的な精神をベースにして、西欧近代の物質文明を同化してゆこうというものであった。当時、パリから戻ったばかりのパパ・イブラ・タルは、サンゴールの理想の実現に向けて、ダカールの若い美術家たちを指導し、積極的に助言をあたえるなどした。やがて、これら一群の作家たちをエコール・ド・ダカールと呼び称するようになるのだが、彼らは仮面や神像などの伝統的なモチーフをキュビスムの手法を取り入れて、半抽象の様式で描くことに活路を見いだした。1966年、ダカールで開かれた第一回世界黒人芸術祭で、エコール・ド・ダカールは華々しく登場することになる。パパ・イブラ・タルも、この時にイバ・ンジャエによって企画された〈現代美術−傾向と対峙〉展に出品している。ここではエコール・ド・ダカールの第一世代の美術家たちがどのような顔ぶれであったのか、よく知ることができる。(「同時代のアフリカ美術」図録 1996年) |
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