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せみまる 蝉丸
大戦前から大戦後にかけて、放庵はしばしば富山県の八尾町や滑川市を訪れている。八尾では〈おわら〉を作詞し、滑川では地元の俳人たちと親しく交わるなど富山県とも関わりが深い。初期には未醒の号で洋画を描いていたが、大正10年頃から中国の故事や逸話を題材として水墨による洒脱な人物画を描きはじめる。本作品の題材は、平安時代の盲目の歌人で琴の名手であった蝉丸の隠遁生活を描いたものであるが、晩年、世俗を離れて新潟県の赤倉に住み、死ぬのを待たれるのは嫌だと芸術院会員を辞退して、気ままに絵を描き歌をよんで生涯を終えた放庵自身の姿を彷彿とさせる。(「日本の美−再発見 富山県水墨美術館収蔵作品集」 2005年、加筆有)
カテゴリー:作品
島成園とは?【 作家名 】 大阪府に生まれる。本名は成栄。日本画家である父の栄吉らが描くのを見て絵を独習し、やがて北野恒富(きたの つねとみ)らとの親交によって独自の画風を築いてゆく。女性や子供を温かいまなざしでとらえた作品を特徴とし、1912(大正元)年の第6回文部省美術展覧会(文展)で〈宗右衛門町の夕〉が入選したのを皮切りに、大阪画壇における優れた女性作家の一人として活躍する。(「美人画の雪月花展」作家略歴パネル、2019年) |
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