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せみまる 蝉丸
大戦前から大戦後にかけて、放庵はしばしば富山県の八尾町や滑川市を訪れている。八尾では〈おわら〉を作詞し、滑川では地元の俳人たちと親しく交わるなど富山県とも関わりが深い。初期には未醒の号で洋画を描いていたが、大正10年頃から中国の故事や逸話を題材として水墨による洒脱な人物画を描きはじめる。本作品の題材は、平安時代の盲目の歌人で琴の名手であった蝉丸の隠遁生活を描いたものであるが、晩年、世俗を離れて新潟県の赤倉に住み、死ぬのを待たれるのは嫌だと芸術院会員を辞退して、気ままに絵を描き歌をよんで生涯を終えた放庵自身の姿を彷彿とさせる。(「日本の美−再発見 富山県水墨美術館収蔵作品集」 2005年、加筆有)
カテゴリー:作品
退廃芸術とは?【 美術用語 】 ナチスの芸術イデオロギーの標語。1933年にヒトラーが権力を握ると、それ以前のヴァイマール共和国時代に発展してきた表現主義やバウハウスなどの現代美術に「退廃芸術」の烙印を捺し、組織的に抑圧して行った。バウハウスは「文化的ボルシェビィズムの温床」として閉鎖され、現代美術運動に同調的な教師や美術館員は職を追われ、発言も封じられた。反面、運営・イデオロギーの両面で政府の統制下に置いたアカデミックな芸術を育成し、「退廃芸術」に対して「ドイツ芸術」と称した。1933年カールスルーエで開かれた「1918年から1933年までの公認美術」展を最初に、現代美術の面目を潰し愚弄しようとする展覧会が相次いで開かれるが、その頂点を成すのが、1937年ミュンヘンで開かれた「退廃芸術」展である。この展覧会のために全国から現代美術の作品が接収され、展覧会終了後、競売や画商を介して売られ、残りは1939年に焼かれた。 |
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