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ごうくら せんじん 郷倉千靭
1892年富山県に生まれる。本名与作。1910年(明治43)富山県立工芸学校を卒業したのち上京、東京美術学校日本画科に学び、15年(大正4)同校を卒業する。翌16年から約1年間、アメリカに留学する。1920年の第2回帝展に初入選し、再興院展には、21年の第8回展以後連続入選して、24年、富取風堂、堅山南風らとともに同人に推挙された。以後、院展を主な活動の場とした。1960年(昭和35)日本芸術院賞受賞。1972年に日本芸術院会員となった。はじめのころ、後期印象派に一時関心を寄せた千靭は、その後、綿密な写生にもとづいた写実的な表現を志向し、大正末には、強い写実性と近代的な画面構成のなかに、ややロマンチックな感情を漂わせた作風を示した。(「大正の新しき波 日本画1910−20年代」図録 1991年)
カテゴリー:作家
ラウシェンバーグとは?【 作家名 】 1925年アメリカに生まれる。2008年没する。1942年テキサス大学に入学するが半年で退学。海軍にいた1943年から45年の間に美術に目覚める。1947年にパリのアカデミー・ジュリアンで学び、48年にはカリフォルニアで、ジョセフ・アルバースに師事する。白いペンキを画面一杯に塗っただけのホワイトペインティングを制作、続いてブラックでも試みる。1951年に、作曲家ジョン・ケージ、舞踊家マース・カニンガムに出会い、ハプニングを行う。1954年にはジャスパー・ジョーンズと出会う。1955年から59年には山羊の剥製を中心にタイヤや板切れで構成したコンバイン・オブジェ〈モノグラム〉を制作。1960年代には写真を転写した版画を制作する。1983年よりROCI(ラウシェンバーグ海外文化交流)と題するプロジェクトが各地を巡回する。抽象表現主義の自我に攻撃を仕掛け、(彼はデ・クーニングの素描を消しゴムで消したことがある)日用品のコンバインを通してポップ・アートへの道を開き、ネオ・ダダの重要人物として高い評価を受けている。 |
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