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さんけいしゅんじゅう 山景春秋
欧州帰国後、フレスコ画に習った作品に取り組んだ竹喬だが、日本画材による西洋的写実表現に困難を感じ、次第に東洋画の線による表現へと移行し、線描を主とする淡彩画が多くなる。この双幅はその時期に描かれたものと思われるが、おだやかな山間の季節感を、添景人物と色彩を抑えることでうまく表現している。山肌の表現に東西の表現への葛藤が感じられるが、樹木には西洋絵画に影響を受けた竹喬らしさがうかがえる。(「日本の美−再発見 富山県水墨美術館収蔵作品集」 2005年)
カテゴリー:作品
池田蕉園とは?【 作家名 】 1886年東京都に生まれる。旧姓榊原、名は由理、通称百合子。父は泉州岸和田藩士、母は国沢新九郎、本多錦吉郎に油彩画を学んだと言う。麹町女子学院卒業後すぐ、16歳で水野年方に入門。1907年(明治40)東京府勧業博覧会で2等賞を受賞。同年の第1回文展で3等賞を受賞したのを最初に、第2回展、第3回展、第4回展と連続4回3等賞を受賞した。その後も第5回展、第6回展、第8回展で褒状を、第9回展で3等賞、第10回展で特選を受賞した。彼女のこうした活躍は上村松園と比され、西の松園、東の蕉園と並び称された。1911年には、婚約以来8年もの紆余曲折をへて同門の池田輝方と結婚、16年(大正5)第10回文展では夫婦そろって特選をとるなど、おしどり作家といわれた。結婚後の蕉園は、夫輝方をもりたてるために第一線から身をひくようなところがあり、そのために夢を追うような初々しさのただよう美人画から次第に作風が変化、江戸っ子の典型のような輪郭のはっきりした女性像になっていく。1917年肋膜炎のため31歳の若さで没する。(「大正の新しき波 日本画1910−20年代」図録 1991年) |
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