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あおやぎ 青柳
若いうちから西洋絵画の影響を受け、新しい日本の彩色画を追求してきた竹喬だが、一方で昭和20年代中葉から墨の世界に惹かれ、東洋画としての墨絵の深さを実感し、以後その精神的な高さに対する一種の憧れを抱き続けることになる。この思いは50年代に開花し、墨を活かしながら自己の色彩表現との融合を図った墨彩画に取り組み、50年に第1回墨彩画展を開いている。その後、さらに墨だけの作品を目指した。これらの小品には、すっきりとした枝や葉の表現などに竹喬らしさが感じられる。(「日本の美−再発見 富山県水墨美術館収蔵作品集」 2005年)
カテゴリー:作品
デュフィとは?【 作家名 】 1877年フランスに生まれる。1953年没する。故郷ル・アーヴルの美術学校を経て、兵役をはさみ、パリのエコール・デ・ボザールに学ぶ。はじめは印象主義の影響を受けた作風で、サロンにも出品するが、1905年のアンデパンダン展で見たマティスの作品に影響されて、明るい色彩と軽快な筆使いによる作風へと転じる。セザンヌやキュビスムの影響を受けた時期もあるが、独特のリズミカルな画面を保ち、フォーヴィスムの一員と見なされる。1937年のパリ万博では、電気館のための壁画を制作、52年のベネチア・ヴィエンナーレでは国際絵画大賞を受けた。 |
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