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さんう 山雨
希望は、伝統的な水墨画を描く一方、抽象水墨作品〈新水墨十二題〉を制作するなど、新しい水墨表現に取り組み、斬新な作品の数々を発表した。本作品には、西欧の近代絵画の影響を受けながら、雨に煙る湿潤な日本特有の山岳風景が描かれている。繊細でありながら覇気に満ちた表現は、伝統的な水墨画に近代感覚が加味された希望の水墨画の特色をよく示している。(「日本の美−再発見 富山県水墨美術館収蔵作品集」 2005年)
カテゴリー:作品
パスキンとは?【 作家名 】 1885年ブルガリアに生まれる。1930年没する。本名はユリウス・ピンカス。父はユダヤ系スペイン人、母はイタリア人。ウィーンで絵を学んだ後、1904年、ミュンヘンの諷刺雑誌『ジンプリツィスムス』の専属契約画家となり、この時から本名のピンカスではなくパスキンと名乗る。1905年パリに行き、エコール・ド・パリの仲間入りをする。1914年から20年まではアメリカで暮らし、この時にアメリカ国籍を得る。その後ドイツ、フランス、イギリス、アメリカ、キューバ、アルジェリア、イタリア、スペイン等、各地を放浪した。1930年、パリのジョルジュ・プティ画廊での個展前夜に自殺。淡彩と無駄のない線によって描かれた彼独特の女性像は、ゆらめくような透明感を持っており、エロチックな憂愁を帯びている。退廃的なその作品には、新しい発見や革新性は見当らないが、彼の鋭く神経質なまでの危うい感受性が表現されている。 |
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