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さんう 山雨
希望は、伝統的な水墨画を描く一方、抽象水墨作品〈新水墨十二題〉を制作するなど、新しい水墨表現に取り組み、斬新な作品の数々を発表した。本作品には、西欧の近代絵画の影響を受けながら、雨に煙る湿潤な日本特有の山岳風景が描かれている。繊細でありながら覇気に満ちた表現は、伝統的な水墨画に近代感覚が加味された希望の水墨画の特色をよく示している。(「日本の美−再発見 富山県水墨美術館収蔵作品集」 2005年)
カテゴリー:作品
結城正明とは?【 作家名 】 越中(現富山県)富山に金沢藩士の子として生まれる。安政年間に江戸に出て、木挽町狩野家の狩野雅信に入門する。狩野芳崖、橋本雅邦、木村立嶽は同門。万延年間の江戸城本丸御殿再建に際して、雅信のもとで障壁画等の制作にたずさわった。明治維新後、狩野派の苦境から一時会計事務の仕事などを行うが、銅版画を学びはじめ、明治10年(1877)の第一回内国勧業博覧会では銅版画で受賞した。この頃、銅版画地図の制作にもあたる。明治17年(1884)に結成された鑑画会に加わり、翌年の第一回展に出品。東京美術学校が開設されると日本画科教官となり、明治24年(1891)助教授。自宅の画塾では、美術学校へ入る前の横山大観、菱田春草を指導した。(「近代日本画への道程 「日本画」の19世紀」図録 1997年) |
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