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おおいわしゅうさんず 大岩秋山図
本作品は、終戦直後に富山県上市町にある大岩不動尊の取材に訪れた際に描かれたものであり、小松独特の大胆な墨線で表現された岩と、繊細に表現された木々のコントラストが際立つ一作である。滝壺のそばで写生をする小松と、それを取り囲むように眺めている子どもたちの姿が微笑ましい。心中しようと思ったというほど没頭した不動尊の制作の中、修行のような日々を送る小松にとって、息を抜くことができた瞬間が描かれているのではないだろうか。(「日本の美−再発見 富山県水墨美術館収蔵作品集」 2005年)
カテゴリー:作品
川合玉堂とは?【 作家名 】 1873年愛知県に生まれる。1957年没する。本名芳三郎。京都に出て、望月玉泉に師事。玉舟の号を与えられた。明治23年(1890)第三回内国勧業博覧会に出品する際、玉堂と改号。同年、玉泉の許可を得て幸野楳嶺の画塾に移った。竹内栖鳳、菊池芳文は同門。楳嶺の没後、明治29年(1896)に上京し、橋本雅邦に入門。日本美術院の創立に際して、師の雅邦とともに参加。受賞を重ねた。文展が開設されると審査員をつとめ、以後同展を中心に活躍した。東京美術学校教授、帝室技芸員、帝国美術院会員、帝国芸術院会員、日本芸術院会員を歴任。昭和15年(1940)には文化勲章を受賞した。(「近代日本画への道程 「日本画」の19世紀」図録 1997年) |
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