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しんざんこじょう 2 深山湖情 II
半二が院展を脱会した大きな理由は「受賞に一喜一憂する自分の生き方に疑問を感じた。賞を意識した作品は描きたくない」とするものであった。院展を脱会した半二は個展で作品を発表していくことを決意し、院展風の花鳥画や人物画を離れ念願であった山岳風景を描きはじめる。本作品は晩年に近い頃のものだが、深い谷あいには霧がたれ込め、風雪にねじ曲げられた裸木はまるで孤独な人のように湖面を見下ろしている。この風景は現実のものではないだろう。この気韻と憂愁をたたえた山あいの湖は、誰も知らない半二だけの胸中山水である。(「日本の美−再発見 富山県水墨美術館収蔵作品集」 2005年)
カテゴリー:作品
勝田蕉琴とは?【 作家名 】 1879年福島県に生まれる。本名良雄。はじめ会津若松の南画家野出蕉雨に学んだのち、1899年(明治32)上京、橋本雅邦に師事する。1902年に東京美術学校日本画選科に入学、1905年の卒業後、岡倉天心の推薦を受けて、タゴールの賓客としてインドに渡る。カルカッタ西北のシャンティニケトン学園で東洋画を教える一方、仏画の制作と仏教美術の研究をおこなった。1907年に帰国し、同年の第1回文展に初入選する。その後、国画玉成会にも参加する。1913年(大正2)の第7回文展で3等賞受賞、以後、官展を主な活躍の場とした。また1963年(昭和38)以降は、革新美術協会に出品した。(「大正の新しき波 日本画1910−20年代」図録 1991年) |
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