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げつめい 月明
操の郷里である新潟県西蒲原郡近郊の風景であろうか、作者には珍しい作品である。闇の中、雪山を背景に雪で光る家屋根が整然と並んでいる。不遇な幼年期の思いでについては多くを語らなかった作者だが、本作品は、これまでの作品とは異なる抑制のきいた画面構成と金泥を効果的に用いることによって、断ちがたい郷里への複雑な想いを、象徴的に表現しているようである。(「日本の美−再発見 富山県水墨美術館収蔵作品集」 2005年)
カテゴリー:作品
与謝蕪村とは?【 作家名 】 現在の大阪市に生まれる。江戸中期の俳人であり、画家。姓は谷口から与謝に改めた。蕪村は俳号で、画号は初め子漢。晩年に謝寅(しゃいん)とした。二十歳頃、俳諧を志し、江戸に下って早野巴人(はじん)に入門。巴人の没後、いまの茨城県など関東や東北を巡歴し、一七五一年(宝暦元年)、京都に居を結ぶ。丹後(現在の京都府)の宮津での滞在を挟み、以後は京都を拠点に活動した。絵画の面では、明清絵画のさまざまな画法を学び、南画の画法を吸収することで、自己の表現をつくりあげた。池大雅(たいが)とともに日本南画の大成者とされている。 |
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