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ひのやま 火の山
本作品は、昭和35年鹿児島の桜島を題材に描いた作者の新作個展の出品作で、操が40歳の時に制作した作品である。黒く太い山の輪郭や、豪快な筆致とシャープな造形感覚あふれる画面構成など、復員後、自分を鼓舞するかのように制作に励んだ初期作品の特徴をよく示す代表的作品の一つである。本作を描いた2年後、青龍社を脱退し、38年から本格的に水墨の制作を始めることとなる。(「日本の美−再発見 富山県水墨美術館収蔵作品集」 2005年)
カテゴリー:作品
朦朧体とは?【 美術用語 】 明治時代後半期の没線彩画の手法を用いた日本画の画風。横山大観、菱田春草らが、岡倉天心の指導と、洋画の外光派に刺激されて、伝統的な線描を用いずに彩描を絵具をつけない空刷毛を用いてぼかすことによって、空気や光線などを表わそうとした、日本画の新しい表現の試みであった。当時の評判は悪く、批評家からは悪意と嘲罵をもって、縹緲体(ひょうびょうたい=ひろびろとして限りなく、かすかにほんのりとしか見えない様)、朦朧体(もうろうたい=描かれたものの輪郭がはっきりわからず、物事のはっきりしないもの)と評された。しかし、浪漫主義(ロマン主義)的風潮を背景に西洋絵画の造形と正面から取り組み、近代日本画に革新をもたらした点においてその影響は大きかった。 |
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