ぐるぐるアートワード
データベースを使った楽しいサービスです。文中のキーワードをクリックすると、解説文があらわれ、同時に検索結果が表示されます。ぐるぐるキーワードをたどって遊んでみてください。
ぐるぐるもくじ


安藤忠雄



アンドリ



アンドリース・ファン・デル・ホルンの肖像



アンフォルメル



あんま 愛欲を支える劇場の話



アンリケルデュポン



アーキペンコ



アースワークス



アーツ・アンド・クラフツ運動



アートアンドフォーム



「アート・リバイバル・イン・オーストリア」



アーミテジ



アールト



アール・ヌーヴォー



飯島光峨



飯田宗吉



飯田善國



イェットマー



イェテロヴァ



家並


<前 (8/186ページ) 次>

●もくじのさくいん

    

    

記事カテゴリ

 すべて

 作家(1701)

 作品(1851)

 美術用語(163)

 その他(1)


たまむら ほくと

玉村方久斗

1893年京都市に生まれる。本名善之助。京都市立美術工芸学校を経て、1915年(大正4)同絵画専門学校を卒業。菊地芳文に師事し、甲斐荘楠音らの密栗会に参加するなど、京都で日本画の基礎を学ぶが、同年第2回院展に初入選。上京して日本美術院研究生となり、院展に出品するが、横山大観と折合わず院展を離脱。一転して大正期の前衛絵画運動に身を投じる。1921年村雲毅一(大朴)らと高原会を結成、翌年第一作家同盟(DSD)結成にも参加し、玉村善之助の名で出品する。1924年には、マヴォ、アクション、未来派美術協会などの前衛謝派が合同した三科造型美術協会の結成に、日本画家として唯一参加し、翌年の同会解散後は、26年単位三科の結成に加わる。この間、未来派ダダ構成主義などの洗礼を受け、前衛演劇運動にも関わった。昭和に入って日本画に回帰し、1927年(昭和2)日本南画院展に出品。さらに30年ホクト社を創立主宰、財政難により同会解散後は昭和10年新興美術家協会(のち美術新協と改称)の結成に参加した。(「大正の新しき波 日本画1910−20年代」図録 1991年)


カテゴリー:作家
  いまクリックまたは、検索したキーワードの解説

平福百穂とは?【 作家名 】

1877年秋田県に生まれる。本名貞蔵。四条派の画家である父の平福穂庵から手ほどきを受けた後、1894年(明治27)に上京して、川端玉章に師事する。1897年東京美術学校日本画科に編入学する。1900年、玉章門下の結城素明らと无声会を結成。1913年(大正2)の无声会解散後は、同年に国民美術協会の創立に加ったほか、1915年に川端龍子小川芋銭らと珊瑚会を結成する。一方文展にも出品し、1914年の第8回展で3等賞を受賞、第9回展で褒状を受け、第11回展では特選となる。1916年には、松岡映丘、結城素明、鏑木清方、吉川霊華らと金鈴者を結成し、翌年の第1回展から1922年の解散時まで出品する。1922年の第4回帝展、1926年の第7回帝展では審査員をつとめ、1930年(昭和5)に帝国美術院会員、1932年には東京美術学校教授となった。大和絵、南画、琳派や桃山時代の絵画、中国古代美術などを広く学ぶとともに、歴史故実も研究し、多彩な画風を展開した。(「大正の新しき波 日本画1910−20年代」図録 1991年)

  画面右にこのキーワードの再検索結果が表示されています。そちらもご覧ください。

キーワード検索




けんさくけっか

キーワード

平福百穂

キーワードを含む記事
3件見つかりました。

  小川芋銭

  川端龍子

  平福百穂


<前   次>

徳島県立近代美術館2006