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版画集〈耶蘇十二使徒板画柵(不来方頌、大恩世主十二使徒板画鏡柵)〉2. バルトロマイ 波流戸呂舞の柵



版画集〈耶蘇十二使徒板画柵(不来方頌、大恩世主十二使徒板画鏡柵)〉3. アルバヨの子ヤコブ 或婆夜の子 屋仔舞の柵



版画集〈耶蘇十二使徒板画柵(不来方頌、大恩世主十二使徒板画鏡柵)〉4. ヨハネ 世跳の柵



版画集〈耶蘇十二使徒板画柵(不来方頌、大恩世主十二使徒板画鏡柵)〉5. ペテロ 遍天呂の柵



版画集〈耶蘇十二使徒板画柵(不来方頌、大恩世主十二使徒板画鏡柵)〉6. アンデレ 案出禮の柵



版画集〈耶蘇十二使徒板画柵(不来方頌、大恩世主十二使徒板画鏡柵)〉7. トマス 登増の柵



版画集〈耶蘇十二使徒板画柵(不来方頌、大恩世主十二使徒板画鏡柵)〉8. マタイ 馬鯛の柵



版画集〈耶蘇十二使徒板画柵(不来方頌、大恩世主十二使徒板画鏡柵)〉9. マフテヤ 摩手也の柵



版画集〈11人のポップ・アーチストII〉4. 夢想



版画集〈11人のポップ・アーチストII〉11. タバコ・ローズ



版画集〈壁〉パラシュートのある壁(表紙)



版画集〈壁〉壁と人間 扉



版画集〈壁〉1. 絵解きの壁



版画集〈壁〉2. 鳥のいる壁



版画集〈壁〉3. 壁のなかで動けなくなった人間



版画集〈壁〉4. 壁のあいだを通り抜けている



版画集〈壁〉5. 壁の前のダンス



版画集〈壁〉6. 口ひげを生やした人のいる壁



版画集〈壁〉7. 人間と壁



版画集〈壁〉8. 壁の前で用を足す人たち


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たまむら ほくと

玉村方久斗

1893年京都市に生まれる。本名善之助。京都市立美術工芸学校を経て、1915年(大正4)同絵画専門学校を卒業。菊地芳文に師事し、甲斐荘楠音らの密栗会に参加するなど、京都で日本画の基礎を学ぶが、同年第2回院展に初入選。上京して日本美術院研究生となり、院展に出品するが、横山大観と折合わず院展を離脱。一転して大正期の前衛絵画運動に身を投じる。1921年村雲毅一(大朴)らと高原会を結成、翌年第一作家同盟(DSD)結成にも参加し、玉村善之助の名で出品する。1924年には、マヴォ、アクション、未来派美術協会などの前衛謝派が合同した三科造型美術協会の結成に、日本画家として唯一参加し、翌年の同会解散後は、26年単位三科の結成に加わる。この間、未来派ダダ構成主義などの洗礼を受け、前衛演劇運動にも関わった。昭和に入って日本画に回帰し、1927年(昭和2)日本南画院展に出品。さらに30年ホクト社を創立主宰、財政難により同会解散後は昭和10年新興美術家協会(のち美術新協と改称)の結成に参加した。(「大正の新しき波 日本画1910−20年代」図録 1991年)


カテゴリー:作家
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狩野芳崖とは?【 作家名 】

1828年長門(現在の山口県)に、長府藩御用絵師、狩野晴皐の長男として生まれる。1888年没する。幼名は幸太郎。はじめは、父に指導を受け、皐隣と号した。19歳のとき江戸に出て、木挽町狩野家、狩野雅信に入門。弟子頭(塾頭)となる。雪冬や雪村などの他、南宋の馬遠や夏圭(かけい)なども独習。同門には、橋本雅邦木村立嶽がいた。万延年間の江戸城本丸御殿修復では、天井画を担当。幕末は、国元で国事に奔走するが、明治10年(1877)上京。苦しい生活のなかで制作を続け、内国絵画共進会などに出品。フェノロサに才能を見いだされ、その指導のもとに制作し、晩年期は、明治17年(1884)に結成された鑑画会を中心に活躍。文部省御用掛、図画取調掛雇をつとめ、東京美術学校設立に尽力した。(「近代日本画への道程 「日本画」の19世紀」図録 1997年)

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