ぐるぐるアートワード
データベースを使った楽しいサービスです。文中のキーワードをクリックすると、解説文があらわれ、同時に検索結果が表示されます。ぐるぐるキーワードをたどって遊んでみてください。
ぐるぐるもくじ


石鹸の道d)行為の断片”標的”



石鹸「モンサヴォン」(ジャン・カルリュと共作)



石膏のトルソと花



雪舟坐像



雪中孤鹿、雨中曳牛



雪中芭蕉図



雪後



背中を見せた女



せのひくいおれんじはまんなかあたり



蝉丸



セリュジェ



『セルフポートレート』



セルフポートレート



千秋万歳図



センストレム



「宣誓」に着手した時の3つの手の習作



板を支える両手、3パターンの下向きの手、2つのその他の手の習作



「宣誓」の為の2つの手の習作、前腕を持ち上げている人物の右側部分、4つの足の習作



センターピース



センターピース、あるいは燭台


<前 (25/27ページ) 次>

●もくじのさくいん

    

    

記事カテゴリ

 すべて

 作家(1701)

 作品(1851)

 美術用語(163)

 その他(1)


おちあい ろうふう

落合朗風


1896年東京府に生まれる。本名平次郎。4歳で母を亡くし、その後キリスト教信者の父の手で育てられる。1912年(大正元)、明治商業学校を卒業後、働きながら川端画学校に通学。1914年、18歳のとき画家を志し、遠緑にあたる京都の画家小村大雲に師事する。翌年、巽画会展、明治絵画展に出品、1916年には文展に初入選。しかし、1919年院展に転じ、第6回院展に〈エバ〉を出品、出世作となる。以後続けて1921年まで院展に出品するが、第8回展の会期中、朝井観波とともに院展を脱退、京都に移る。1924年、父の故郷島根県松江での個展には失敗するが、同年の第5回帝展に出品し、以後帝展に出品を続け、東京にもどる。1931年(昭和6)帝展と訣別し、青龍展に出品。青龍賞を受け社友となるが、34年川口春波とともに青龍社も脱退、新たに明朗美術連盟を創立する。閉鎖的な既成日本画壇に対抗し、自由な精神と新鮮な感覚で制作をつづけたが、1937年、急性肋膜炎により41歳で早逝した。(「大正の新しき波 日本画1910−20年代」図録 1991年)


カテゴリー:作家
キーワード検索




けんさくけっか

本文中のリンクをクリックすると、そのキーワードで検索できます。

徳島県立近代美術館2006